コラム

新しい合理性が生む公正と効率──クールマンスの視点

レイモンド・クールマンス(Raymond C. Kearns ではなく、一般には“レイモンド・クールマン(s)”の表記で参照される研究者)は、経済や意思決定の領域で「合理性」とは何かを、単なる“利益最大化の計算”の話にとどめず、情報・不確実性・制度設計・社会的な成果の観点から捉え直そうとする姿勢を象徴する存在として語られます。彼(あるいは同名として言及される研究領域の人物)の名が取り上げられるとき、多くの場合その中心には「人間が合理的に振る舞う」という主張を、いかに形式化し、どこまで一般化できるのか、そしてその合理性が現実の社会にとってどんな意味を持つのかという問題意識があります。ここでは、彼の議論に強く結びつく興味深いテーマとして「合理性を、情報と制度の設計問題として捉え直す」ことを取り上げ、その射程の広さと奥行きを長文で整理してみます。

まず重要なのは、合理性という語が単に“個人が最適な選択をする能力”を指すだけではなく、選択の前提条件そのもの――つまり誰がどんな情報を持ち、どの手続きに従い、どのようなルールの下で意思決定が行われるのか――を含む概念だという点です。意思決定を取り巻く環境では、完全な情報が与えられているわけではありませんし、将来の結果も不確実です。さらに、他者もまたそれぞれ異なる情報や制約を持っています。このとき、個人の合理性を「与えられた条件のもとでの最適化」として定義したとしても、その条件がどのように形成されるのか(例えば、情報が市場でどのように集約されるのか、交渉のルールや契約の枠組みはどう設計されるのか)まで含めて考えないと、合理性の説明としては不十分になります。クールマンスが関心を寄せる方向性は、この“前提条件を作る側”の問題に踏み込み、合理性を制度的に実現するには何が必要かを問うところにあります。

このテーマを理解する鍵として、しばしば参照されるのが「期待」の扱いです。人々は将来を予測しながら行動しますが、その予測は確率分布の形で整然と与えられる場合もあれば、曖昧な推測や経験則によって形成される場合もあります。合理性は、そうした期待形成のあり方と切り離せません。もし、社会の意思決定が“正しい予測”を前提として設計されるなら、予測が外れたときには制度が機能不全を起こします。逆に、予測が不完全でも成立する仕組み――つまり、期待が多少ズレても望ましい結果が保たれるようなルール――を設計することが合理性の実装にとって重要になります。ここでの合理性は、計算の美しさではなく、情報の欠落や誤差がある現実の世界でどれだけ頑健に機能するかという観点に移っていきます。クールマンス的な議論は、この頑健性を「理論上の最適」から「制度上の実現可能性」へと引き寄せていく点に特徴があります。

さらに、制度設計の問題は、情報の非対称性とも深く関係します。たとえば、市場では買い手と売り手が同じ情報を持つとは限りません。企業側は自社の製品品質を知っていますが、消費者は知らない場合がある。あるいは、労働者は自分の能力や努力の可能性を把握している一方で、雇用者はそれを直接には観測できない。このような状況では、単純に「みんなが合理的なら最適になるはず」という直感は成立しにくくなります。なぜなら、観測できない情報が交渉や契約のインセンティブ構造を歪め、結果として望ましくない取引や低い努力水準が生じ得るからです。ここで問われるのは、個人の合理性を前提にした最適化ではなく、観測できない情報があっても社会的に望ましい配分や行動を引き出せるような仕組みが存在するか、ということです。制度は“外部から合理性を押し込む装置”になり得ます。クールマンスのテーマ設定は、その発想を理論の中心に据え、合理性を設計問題として扱う方向に強く結びつきます。

この流れの中で「社会的に望ましい結果」とは何か、という価値基準もまた論点になります。経済学の伝統的な枠では、効率性(総余剰の最大化など)や公平性(配分の格差の緩和など)がよく議論されますが、実際にはそれらは単に足し算で決まるわけではなく、何を目的関数に置くか、どの程度のトレードオフを許容するかによって結論が変わります。クールマンス的な見方では、合理性を問うことと、価値基準をどう扱うかは切り離せません。なぜなら、制度設計において人々の行動がどう変化するかは、単に技術的な最適化ではなく、社会が何を重視するかに応じて期待される行動が変わるからです。つまり、合理性の形式化とは同時に、「社会が目指す成果」の明確化でもあります。

不確実性の下での意思決定という観点も、ここでは重要になります。現実の意思決定は、結果がランダムに変動します。しかも、その変動は個人がコントロールできない要素を含みます。すると、合理的行動とは「最終結果を確実に良くする」ことではなく、「リスクに対する態度を織り込み、情報と期待を用いて、望ましい評価基準に照らして行動する」ことになります。クールマンスの議論が示唆するのは、合理性があくまで不確実性と結びついた概念であり、制度がその結びつきを無視してしまうと、期待された成果が崩れやすいということです。たとえば、インセンティブ設計が過度に短期的な成績に依存すると、人々はリスクの高い行動に走ったり、観測される指標を“最適化”するために実質的な価値を損ねたりします。したがって、合理性を実現する制度とは、リスクの構造そのものを見て設計される必要があります。

ここまでの整理を踏まえると、クールマンスのテーマは、単なる理論的な洗練の話ではなく、現代社会の制度が直面する課題――情報・不確実性・インセンティブ・価値基準の同時調整――を、合理性の概念へと回収しようとする点にあります。私たちが日常的に目にする制度(市場ルール、税・補助金、契約、評価制度、規制、公共政策など)は、どれも「人々が合理的に振る舞うはず」という前提の上に成り立っています。しかし実際の制度は、情報が非対称であり、不確実性があり、さらに人々が制度そのものを理解して戦略的に動くため、その前提をそのまま置くことができません。すると必要になるのが、合理性を制度側から支える設計の思想であり、その中心にある発想がクールマンス的な問題設定だと捉えられます。

結局のところ、このテーマの面白さは、「合理性」を個人の内面の性質としてだけ扱うのではなく、合理性を“社会の仕組みが生み出す性質”として理解し直すところにあります。合理性を設計できるのか、どこまで設計できるのか、設計した合理性はどんな失敗モードを抱えるのか。これらは、理論と政策の橋を架ける問いです。制度が人々の行動を形作り、人々の行動が制度をまた別の形に学習させる――そうした循環を踏まえると、クールマンスの視点は現代の意思決定研究にとってもなお魅力を保ちます。合理性とは、単に“正しい計算”ではなく、情報と不確実性のもとで望ましい結果を引き出すために、どのようなルールを設計するかという、人間社会の工学的な課題なのだ、という結論に近づいていくからです。