ベイトマンの原理が示す組織の“成長の失敗”
ベイトマンの原理は、組織や社会の中で「人は環境に適応しているようで、実は同じ方向に収束していく」という不思議な現象を説明しようとする考え方として知られています。一般にベイトマンの原理という言葉は、どこまでを厳密な理論として扱うかは文献や解釈によって差があるものの、要旨としては「最初に採用・評価・昇進の仕組みによって“採られる行動”が固定化され、その行動様式がさらに強化されていく結果、組織の選好や適応が偏ってしまう」という方向性を示すものとして語られることが多いです。ここで興味深いのは、私たちがしばしば“成長”や“改善”だと思っていることが、実は“多様性の喪失”や“学習の偏り”を伴い、長期的には組織をかえって脆くしてしまう可能性がある点です。
この原理を組織の成長に結びつけて考えると、鍵は「評価されるものが増え、評価される以外のものが削られていく」というメカニズムにあります。組織では、目標管理、KPI、業績評価、昇進要件などを通じて、何が“良い行動”として扱われるのかがある程度明示されます。すると人は、意識的であれ無意識であれ、評価される行動に近づこうとします。短期的にはそれが成果に結びつくことも多く、結果として“正しい方向”に向かっているように見えます。けれども長い目で見ると、ある特定の行動が評価体系により選択され続け、別の行動が試される機会が減っていきます。つまり、行動のバリエーションが縮み、組織の学習が単線化していくわけです。これが、ベイトマンの原理を「組織が改善しているのに、なぜか同じ失敗パターンを繰り返す」という形で観察できる理由になります。
もう一つ重要なのは、個人が悪いわけではないという点です。人は合理的に行動しようとします。評価されること、評価につながりやすいこと、再現性が高いことにリソースを振り分けるのは自然です。問題はむしろ、評価制度そのものが“ある側面だけを測りやすくする”ことで、測られない能力や価値がシステムからこぼれ落ちてしまうことにあります。たとえば、顧客の満足度や品質、事故予防、文化づくりといった成果は、短期で数値化しにくいことがあります。その結果、見えやすい売上、短期納期、ノルマ達成のような項目が強く支配的になります。すると組織は、その指標に最適化した人材や行動を集中的に生み、次第に“指標に適合する人”が標準になっていきます。けれども社会や市場は必ずしも、その指標が想定する状況のままでは変化し続けます。環境が変わったとき、適応してきたのが特定の指標に偏っていた組織は、変化への対応力を持ちにくくなります。
このとき起こる現象が「集団の知的閉塞」です。個々のメンバーが努力しているにもかかわらず、議論の俎上に上がる問いが限られ、選択肢の幅が狭まり、反証や異論が生まれにくくなっていきます。たとえば“評価される仕事のやり方”は経験則として共有されますが、その経験則は同時に、過去の成功の再現を優先するフィルターにもなります。結果として、失敗を避けるために挑戦が萎縮し、しかし萎縮によって「失敗が減った」ように見えて、実際には「機会が減っている」ことに気づきにくくなります。ここでベイトマンの原理が示唆するのは、組織が危機に陥るのはしばしば怠慢のせいではなく、成功体験が作った“行動の固定化”が次の局面で裏目に出るためだ、という点です。
さらに深掘りすると、この原理は採用や配置にも影響します。採用するとき、面接や試験で評価されるのは「過去に評価された能力」です。過去の成功に近い振る舞いをする候補者が採用されやすいので、組織の中で同じ型の人が増えやすくなります。配置でも同様です。管理職やリーダーには、過去に成果を出した振る舞いが期待されます。すると、管理職が担う育成もまた、その型に近い方向で行われがちになります。こうして「採用→評価→昇進→育成」という循環が回り続け、組織は一見安定しますが、同時に多様な可能性が削られていきます。多様性がない組織は、外部環境のノイズに対して脆弱になります。少しの変化が致命傷になることもあるわけです。
では、ベイトマンの原理にどう対処すればよいのでしょうか。鍵は、評価や制度を“1つの指標”に寄せすぎないこと、そして測れないものをどう扱うかにあります。たとえば、短期KPIだけでなく、学習や品質、リスク管理、改善提案件数といった「将来への投資」を評価項目として組み込むことで、行動の選択肢を広げられます。また、評価の頻度や基準を固定化しすぎると適応が偏りやすいので、環境変化に合わせて評価軸を見直す仕組みを持つことも重要です。さらに、異なる価値観を持つ人が安心して発言できる文化を作らないと、制度がどれだけ工夫されても実態が“同じ結論に寄せる会議”になってしまいます。
もう一つの対処は、「失敗の意味」を組織内で再定義することです。ベイトマンの原理が強く働くのは、失敗が単に悪いものとして扱われ、再現性のない挑戦まで罰されるときです。逆に、失敗を“学習コスト”として扱えるなら、挑戦の幅が維持され、組織の探索(いろいろ試す力)が落ちにくくなります。たとえば、実験の目的、仮説、学び、次の行動がセットで評価されるなら、成功か失敗かだけに依存しにくくなります。こうした設計は、まさにベイトマンの原理が引き起こす「収束」を“探索の回転”へと変換する試みだと言えます。
結局のところ、ベイトマンの原理が示しているのは、組織が良くなろうとしているほどに、良くなり方が偏っていく危険です。人は評価される行動を選びます。そして評価体系は、その行動をさらに強化します。だからこそ、私たちは制度の“意図”だけでなく、“結果として人が何を選ぶようになるか”を継続的に点検しなければなりません。安定は時に効率を生みますが、同時に思考や挑戦の多様性を奪います。そのバランスを取り戻すために必要なのは、評価と学習の仕組みを単純化しすぎないこと、そして変化への適応力を維持する設計を意識することです。
ベイトマンの原理を考えるとき、私たちは「組織は必ずしも怠慢で失敗するのではない」という視点を得ます。むしろ成功が作る習慣が、次の成功を邪魔することがあるのです。だからこそ、成長を目指す組織ほど、数字に映る成果だけでなく、数字にならない学びや多様な試みを守る仕組みを同時に育てる必要があります。ベイトマンの原理は、そんな“成長の落とし穴”を冷静に照らしてくれるテーマだと言えるでしょう。
