コラム

『金来元』――「帰ってこない時間」をめぐる造形と名の謎

韓国人彫刻家として知られる『金来元(キム・レウォン)』の作品を前にすると、まず目に飛び込んでくるのは、単なる形の面白さではなく、時間や気配のような“目に見えないもの”を、あたかも物質の密度として扱おうとする姿勢です。彫刻は普通、空間を満たすものとして語られますが、彼の仕事ではむしろ空間が反転し、こちらの視線の側が揺さぶられるように感じられます。形はそこにあるのに、見終わった後になっても「何が残ったのか」が曖昧になる。そうした体験が、彼の作品を興味深いテーマへと導いていきます。本稿ではとりわけ、“帰ってこない時間”という観点から、金来元の造形がどのように鑑賞者の感覚に働きかけるのかを読み解いていきます。

金来元の作風を語るとき、まず重要になるのが「見ること」と「触れること」の境界が、作品の内部で揺らいでいる点です。彫刻は物として存在しますが、彼の作品の多くは、表面の質感や構造の仕方が、触覚を呼び起こす方向に働きます。とはいえ実際に手を伸ばせば触れることができるかどうか、あるいは触れてよいかどうかは、作品の意図とは別の次元にあります。むしろ問題は、鑑賞者の身体が“触れたい”という衝動を勝手に立ち上げてしまうことです。視覚が触覚を誘導し、触覚が時間の感覚を連れてくる。こうして作品は、空間に置かれているというより、鑑賞者の感覚の中で発火する出来事のように立ち上がってきます。

ここで言う「帰ってこない時間」とは、時計の針のように規則的な時間ではありません。むしろ一度知覚されると、同じ状態には二度と戻れない種類の時間です。作品の前に立った瞬間、ある角度で見えた形が、別の角度では別の意味を帯びるようなとき、人は通常「視点を変えたから見え方が変わった」と考えます。しかし金来元の場合、その変化が単なる視覚的な効果に留まらず、鑑賞者の内側の時系列を組み替えてしまうように作用します。前に見たはずの輪郭が、次の瞬間には別の質感として記憶され、前に読んだはずの“印象”が、別のニュアンスへと滑り落ちていく。つまり鑑賞体験が、その場で進行し、同時に鑑賞者をも変えてしまうのです。

この作用を生み出す背景には、素材や構造の選び方に関わる緻密さがあります。彫刻である以上、重さや密度、支持のされ方といった物理的条件が不可欠ですが、金来元はそれらを「安定させるための要素」としてだけ使っていないように見えます。むしろ、安定しているようでいて不安定な振る舞い、止まっているようでいて揺らいで見える関係性が、わざと設計されている。鑑賞者が作品の表面を追っていくうちに、“動いていないはずのものが動いているように感じられる”領域へ誘導されます。その瞬間、私たちは過去の見え方を確定できなくなり、確定できないからこそ、その時間が「帰ってこない」ものとして成立します。

さらに興味深いのは、金来元の彫刻がしばしば「身体の比喩」のような読みを許す点です。人間の身体に似た曲面や、骨格のように感じられるライン、あるいは呼吸する器のような空間のくり抜き――それらは直接的な模倣ではないのに、鑑賞者の経験に結びついてしまう。そうなると作品は、外部から鑑賞する対象であると同時に、自分の身体が時間を経験する仕方そのものを映す鏡になります。時間は身体を通じて感じ取られるものであり、身体の感覚は記憶と結びついて更新されます。だからこそ、金来元の彫刻が引き起こすのは、単に「見た」という記憶ではなく、「自分の時間の進み方が変わった」という感覚です。

このとき「名」という要素も見逃せません。『金来元(キム・レウォン)』という名前には、「どこから来て、何が始点になるのか」という問いを自然に呼び起こす響きがあります。もちろん作家名は作品解釈の決め手ではありませんが、彫刻がしばしば“起源”や“回帰”ではなく、“流れ”や“戻れなさ”を強調する場合、名前の持つ問いの性質が、鑑賞者の頭の中で同種の問題を呼び寄せます。つまり作品は、形そのものだけでなく、鑑賞の行為を通じて「来歴」と「変化」を考えさせる装置にもなっているのです。

もちろん、こうした読みは抽象的に聞こえるかもしれません。しかし金来元の魅力は、抽象性が説明不足から生まれているのではなく、逆に、作品が細部から感覚を積み上げることで“説明しきれない時間”を成立させているところにあります。説明が可能になる前に、鑑賞者はすでに身体的に理解し始めています。たとえば、ある彫刻では重心の移動を感じ、別の彫刻では光の当たり方が記憶のように残る。言葉にしようとすると薄れてしまうのに、言葉にしなくても確実に身体は反応している。そうした矛盾こそが、帰ってこない時間の正体に近いのだと思われます。

結局のところ、金来元の作品が私たちに与える問いはシンプルです。「同じ場所で、同じように見たつもりでも、同じ時間を取り戻せるのか?」彫刻の前では、私たちは一瞬ごとに更新されます。視線が変わり、身体の向きが変わり、空気の温度さえ変わる。だから“同じ”は成立しません。金来元の造形は、その避けられない事実を隠さず、むしろ美しい構造として現前化する。帰ってこない時間を抱えたまま、私たちは作品とともに前へ進むことになるのです。