コラム

『凸凹凸凹』が映す「反復の快感」と「違和感の手触り」──パターンが生む感情の読み解き

『凸凹凸凹』という言葉(あるいは並び)が持つ魅力は、意味の説明より先に、体感としてのリズムや手触りが先に立ち上がってくる点にあります。「凸」と「凹」は、形としての差だけでなく、触感や光の当たり方、重さの感じ方まで連想させるため、視覚・触覚・そして感情の層を同時に刺激します。そのうえ「凸凹凸凹」と繰り返されることで、単なる模様以上のもの――反復が生む安定感と、わずかな違和感がつくる緊張感――が同居する表現になっていきます。

まず注目したいのは、反復がもたらす“安心”と“覚醒”の両面です。人は同じようなパターンを一定回数見続けると、脳内で予測を立てます。次はこうなるはずだ、という見通しが立つことで、対象は理解可能になり、落ち着きます。しかし『凸凹凸凹』は、予測の成立に加えて「差」を見せ続けます。「同じ」ではなく「交互」なのです。凸のあとに凹が来ることで、安定したリズムは維持されながらも、常にどこかが反転する。その結果、心は“同じ流れ”に乗りつつ、“一歩ずつ揺さぶられる”状態になります。これは音楽における反復と変化の関係にも似ていて、完全に同じものが続く退屈とは違い、繰り返しながら感情の温度が下がらないのが特徴です。

次に、『凸凹凸凹』が喚起する違和感について考えると、そこには「対称性に潜む非対称性」への感覚があります。凸と凹は対の関係ですが、両者は同じ価値で対等に見えるとは限りません。光が当たる方向や、見る角度、さらには人が普段触れている感覚(硬い/柔らかい、表面/奥行き)によって、凸は強く、凹は控えめに感じられることがあります。つまり見え方は、構造が単純でも、受け手の側で微妙に変化してしまう。『凸凹凸凹』という短い並びは、その“受け手の解釈”が出やすい形でもあります。だからこそ同じ表現を見ても、読む人ごとに「どちらが主役に感じられるか」「どこが引っかかるか」が変わり、体験が分岐します。

さらに、反復がもつ心理的効果として、「没入」と「自己点検」が同時に起こる可能性もあります。凸凹という交互のパターンは、注意を固定しやすい一方で、固定した注意が“ずっと同じ”だと感じた瞬間に、逆に自分の意識を点検するような働きが起こります。たとえば「今のは凸だった」「次は凹だ」と考えることで、読んでいる最中に“予測している自分”が浮かび上がる。つまり対象のリズムが、読者の内部にある予測機構や注意の癖を照らし返すのです。『凸凹凸凹』はストーリーを語らないのに、観察している主体の働きだけは強く感じさせます。これが、単なる形の記号ではなく、ある種の“心理装置”のように働く理由でもあります。

また、凸と凹は物理的には凹凸でも、象徴的には「見える/見えない」「近い/遠い」「表に出る/隠れる」といった対立を含みます。だから『凸凹凸凹』は、表層と裏層、あるいは自己の中の顕在と潜在を思い起こさせることがあります。凸は“前に出る”、凹は“引っ込む”。この交互は、気分や態度が切り替わる瞬間、あるいは人が場の空気に合わせて表現を微調整する瞬間にも重なります。すると、凸凹は単なる模様ではなく、生活や対人関係の中で起こる「出し入れ」の比喩として働き始めます。しかも“順番が決まっている”ように見えるので、変化が偶然ではなく規則のように感じられ、運命感やパターン化への認識が生まれます。

同時に、凸凹の反復は「測定」や「検査」のイメージともつながります。凸凹は段差であり、目盛りであり、調整や修正を示すサインにもなり得ます。『凸凹凸凹』という形式だけを取り出すと、何かの仕様書や品質検査の記号のように見えてくる。つまり見ている側は、これは何を示しているのだろうという読み取りの欲求に駆られます。しかし情報が足りないぶん、答えが一つに定まらない。だからこそ、解釈の可能性が増え、想像力が働きます。この「答えが確定しないのにリズムだけは確実に存在する」という状態が、妙に長く記憶に残る感覚を生みます。

さらに一歩進めると、『凸凹凸凹』は「同じ反復が、時間の経過によって違って見える」ことも示しています。静止した図形や言葉は同じに見えるはずですが、読まれる・見られるという行為が時間を伴う以上、体験は変わります。最初は単純な交互のパターンだと思っていたものが、途中からは“意味のようなもの”を帯びてくる。次第に「今はどんな気分で読んでいたか」まで含めて体験が編まれていくのです。凸凹が繰り返されることで、外側のパターンだけでなく内側の状態も揺れ動き、両者が反応しあいます。結果として、短いフレーズでも読み終えた後の余韻が長くなり得ます。

結局のところ、『凸凹凸凹』が興味深いのは、そこに明確な説明がないにもかかわらず、反復・差・予測・解釈という人間の認知の要素が強く刺激されるからです。凸と凹という相反する要素が交互に現れることで、心にはリズムが刻まれ、同時に「なぜそう見えるのか」「どこが自分に引っかかるのか」といった自己観察が始まります。派手な物語がなくても、体験としての意味が立ち上がる――その立ち上がりの速さと、立ち上がった後に残る余白こそが、『凸凹凸凹』の持つ面白さだと言えます。もしこの並びを見たときに、頭ではなく身体が先に反応する感覚があるなら、それはおそらく“パターンが感情を組み立てる”仕組みが、すでに働き始めているサインです。