コラム

わいせつ電磁的記録陳列の実務的境界線を探る

「わいせつ電磁的記録陳列」という言葉は、日常の感覚からすると少し抽象的に聞こえるかもしれません。しかし実際には、どのようなデータが「わいせつ」に当たり、どのような行為が「陳列」に当たるのか、そしてそれがオンライン環境の中でどう評価されるのかといった点が、現場ではとても重要になります。特に、インターネット上の表示、アクセス可能な状態の作り方、共有やリンクの扱い、保存や公開のタイミングなど、グレーに見える要素が多いため、「言い分」だけでは整理しにくい性質を持っています。そこでここでは、この種の規範をめぐる実務的な境界線に焦点を当て、なぜ線引きが難しいのか、そして判断に関わる考え方をどう捉えると理解が進むのかを長文で説明します。

まず押さえるべきなのは、「電磁的記録」という概念が、紙のような有体物ではなく、データとして存在する表現を含む点です。動画、画像、音声だけでなく、ウェブページに埋め込まれた画像や、閲覧できる形でアクセス可能になっているファイルなども広く射程に入ります。つまり、物理的に棚に並べるわけではなくても、画面上で閲覧可能な形に置くことで、実質的には“展示”に近い効果が生じ得るという発想が背景にあります。ここで重要なのは、法律が「保存」や「閲覧」それ自体を単純に問題にしているというより、「第三者の目に触れるようにする態様」を重く見ている点です。

次に「陳列」の意味です。一般に陳列という語は、視認できるように並べることを想像させますが、電磁的記録の文脈では、必ずしも“並べる”物理的状況は不要になります。たとえば、特定の人だけが閲覧できる状態なのか、不特定または多数の人がアクセスできる状態なのか、あるいは検索結果やトップページなどを通じて誘導され、実際に見られる可能性が高いのかといった要素が、陳列性の評価に関係しやすくなります。言い換えると、「ただ持っている」だけでは足りず、「見える状態として提供しているのか」「第三者の視野に入るように配置しているのか」という点がカギになります。オンラインでは、この“見える状態”がURLの公開、権限設定、埋め込み、サムネイル表示、ダウンロード可能性などによって作られ得ます。そのため、行為者の意図というより、システム上の作り方が実質を決める場面が増えます。

そして最も難しいのが「わいせつ」の判断です。わいせつ性は、主観的な感想だけで決まる性質のものではなく、社会一般の健全な性的秩序に照らした評価が必要になります。具体的には、表現内容の露骨さ、全体としての性的意図の強さ、年齢や文脈との関係、視聴者が受ける印象、表現が持つ目的が単なる性的興奮のためかそれとも別の正当な目的(たとえば報道・研究・教育等)として理解できるか、といった事情が総合的に考慮される傾向があります。ただし、どこまでが許容され、どこからが許容されないかはケースごとに揺れ得るため、結果的に「自分は意図していなかった」「パロディだ」「一部だけ見えるようになっていただけだ」といった言い分が通りにくくなることがあります。つまり、言い訳の巧拙ではなく、表現が客観的にどう受け止められるかが中心に据えられやすいのです。

このような構造を踏まえると、実務で関心が集まるのは、電磁的記録の「どの行為」が「陳列」に評価されるかという点、そして「わいせつ性」を争点としてどこに焦点を当てるかという点になります。たとえば、単にファイルを自分の端末に保存していたに過ぎない場合、陳列性が否定され得ますが、アップロードや共有設定によって第三者が閲覧できる状態になると、状況が一変します。また、サイトの管理者でなくても、画像を記事に埋め込み、サムネイルを表示し、クリックすれば閲覧できるようにしている場合には、実質的に“展示者”の位置づけに近づきます。さらに、リンクを貼る行為についても、「単なる案内」なのか「実質的な提供」なのかが問題になり得ます。リンクが閲覧の入口として機能し、コンテンツがアクセス可能な状態を支えているのであれば、評価は厳しくなりやすいでしょう。

ここで一つの興味深いテーマとして、「行為の切り分け」があります。オンライン環境では、生成、保存、編集、アップロード、埋め込み、広告的な見せ方、アクセス誘導など、複数の工程が分業・自動化されることがあります。そのため、「どの工程が法律上の核心部分を構成するのか」を分析する必要が出てきます。たとえば、誰かがすでに公開しているわいせつコンテンツを、別の場所で再掲・転載しているような場合、単純な“転送”か、“選んで見せる”かで評価が変わることがあります。また、同じデータでも、閲覧しやすい導線を作るか、あえて閲覧困難にしているかといったUI(ユーザーインターフェース)的な事情が、実務的には無視できない場合があります。言葉にすると細部ですが、裁判実務では「第三者が容易に視聴できるか」「表示の態様がどの程度誘引性を持つか」が重なってくることが多いのです。

さらに、近年のプラットフォームの変化も重要です。SNS、掲示板、動画共有サイト、クラウドストレージ、チャットなど、表示の仕方は多様化しています。たとえば、公開範囲が「不特定多数」と言える程度か、「限定されたメンバー」にとどまっているかという問題も、実際の設定や運用実態で決まります。たとえば招待制でも、実質的に外部から容易に入手できる招待コードであれば不特定性に近づきますし、逆に表向きは公開でもアクセス制御が厳格で実態として視聴が難しければ、評価が変わる可能性があります。このように、陳列の評価は「形式」だけでなく「運用実態」によって影響されるため、担当者や利用者が想像する以上に事実関係がものを言います。

また、わいせつ性の判断には、表現の量や質だけではなく、周辺事情も入り得ます。たとえば、同じ画像であっても、説明文が強い性的誘因を目的とするような文脈で置かれていれば、全体評価が重くなることがあります。逆に、芸術的、教育的、報道的であるなどの事情が客観的に理解できる場合は、評価が揺れる可能性があります。ただし、どんな目的を標榜しても、実際の表示態様が視聴者の性的好奇心を中心に満たす作りになっていれば、簡単には免れることがありません。ここでも、主張と表示の実態が一致しているかどうかがポイントになります。

このテーマを実務的に見ると、最終的に「予測可能性」と「線引きの難しさ」の問題に行き当たります。利用者側からすると、どこまでなら安全で、どこから危険なのかは知りたいところですが、わいせつ性の判断には幅があり、さらに陳列性も表示方法やアクセスの作りによって左右されるため、単純なチェックリストで確実に判断することは困難です。だからこそ、現実には、コンテンツの内容確認だけでなく、公開・掲載・共有の設定や誘導の有無、第三者が容易に閲覧できる導線が存在するかといった、技術的・運用的な観点が欠かせません。行為者の善意や認識の程度よりも、結果として第三者の視野に入る仕組みがどう作られたかが問われやすいのです。

ここで結論として強調できるのは、「わいせつ電磁的記録陳列」は、単なる“内容の問題”にとどまらず、“第三者が見られるようにする態様”まで含めて評価されるという点です。電磁的記録であるがゆえに、物理的展示とは違う形で第三者の目に触れ得ることが前提になっています。さらに、わいせつ性は社会的評価を通じて判断されるため、主観的な言い分だけでは整理しにくいという性質があります。その結果、オンライン上での掲載・埋め込み・共有・誘導といった実務行為が、予想よりも直接的に法的評価へつながり得る――この「境界線の作られ方」こそが、最も興味深く、同時に最も注意が必要なポイントだと言えます。