まばたきが奏でる記憶の旋律とは?

『まばたきの五線譜』は、視覚的な情報を“読む”だけでは掴みきれないものを、あえて言葉と比喩の側から呼び戻そうとする作品だと感じます。五線譜という、音を正確に記すための形式がタイトルに置かれている時点で、そこに描かれているのは感情や体験の輪郭ではなく、より細やかなリズム――たとえば呼吸の間、身体の微細な動き、瞬間と瞬間の“あわい”のような時間の感触ではないでしょうか。まばたきは、ごく日常的で、意識して数えることなどほとんどない動作です。それでも人は、まばたきをすることで視界を保ち、まばたきによって時間の区切りを作ります。つまり、まばたきは「止まっていないのに、途切れながら進む」という生の感覚を象徴する出来事になり得ます。そこに五線譜のような“記譜”の発想を重ねることで、作品は、見える/見えない、聞こえる/聞こえない、思い出せる/思い出せない、といった境界を横断しながら、内側の時間を外側の形式として扱おうとしているように思えます。

この作品の興味深さは、感情を直接説明するのではなく、きわめて小さな現象を手がかりにして、読者の側の知覚を変えていくところにあります。たとえば、まばたきが短い瞬間の出来事であることは誰でも知っていますが、作品はそこを「短さ」や「生理」として終わらせません。むしろ、その瞬間が残す痕跡――目を閉じた一瞬に世界がどう“切り取られる”か、そして切り取られたはずの断片が、どのように連なって“意味”になっていくかに視線を向けます。目を閉じる時間は、何も起きていないようでいて、実際には世界の見え方を変え、記憶のつながり方まで調律しているようにも見えるからです。五線譜が音の高さや長さを固定してしまう媒体であるなら、まばたきは固定されない時間そのものです。その矛盾のような組み合わせが、作品の核にある違和感と詩情を生み出しているのでしょう。

また、五線譜という言葉は、規則性や訓練された読み取りを連想させます。楽譜を読むとき、人は“音が聞こえる前”に音を想像し、次の小節を予測し、遅延や飛躍を調整しながら理解していきます。『まばたきの五線譜』が提示しているのは、感情や出来事をそのまま説明する文章というより、むしろ読者に「理解のための姿勢」を求める文章です。まばたきのような身体的なリズムを手繰り寄せることで、言葉の読解が“意味を確定する作業”ではなく“聞こえ方を選び直す作業”になっていく。そのため、読後感が一度で完結しにくく、読み返すたびに同じフレーズが違う音色に聞こえる可能性があります。こうした読書体験は、作品が意図しているのが論理の結論ではなく、知覚のあり方そのものだからではないでしょうか。

さらに、まばたきは、他者との関係における合図としても機能します。視線は人と人の間で情報をやり取りする手段であり、まばたきはその視線を更新する信号になります。長く見つめ続ければ視線は圧になり、突然まばたきを多くすれば緊張や戸惑いとして受け取られることもある。つまり、まばたきは自己の内部だけで完結しないのです。作品はこの点を拡張し、身体の微細な変化が他者にどのように“意味づけられるか”という領域にも踏み込んでいるように見えます。五線譜が他者に対して演奏を伝える媒体である以上、ここでの五線譜は、個人の体験を他者へ共有しようとする試みでもあります。けれども、共有しようとした瞬間に体験は必ずズレます。まばたきのタイミングも、視線の重さも、読む側の経験によって異なるからです。作品はそのズレを否定せず、むしろズレこそが詩的な余白になる、と語りかけているように思えます。

結局のところ『まばたきの五線譜』が引きつけるテーマは、「記憶をどう記すか」ではなく、「記憶が生まれる途中の形」をどう捉えるかにあります。記憶はしばしば、出来事の輪郭が確定してから呼び起こされるものとして語られます。しかし、実際の体験では、出来事はその場で完結せず、何度も視点が揺れ、身体が反応し、言葉になりきれないまま時間が過ぎていく。その“言葉になる前のリズム”を、まばたきのような極小の現象に重ねて提示するからこそ、この作品は、読み手の心のどこかに直接触れてくるのだと思います。五線譜の枠組みがあることで、私たちはその揺れに順番を与えたくなる。けれどもまばたきは枠に収まらない。だからこそ作品は、収まらないものを収めるのではなく、収まらなさを含めて響かせようとするのです。

もしこの作品に惹かれるとしたら、それは「何が起きたか」を追う楽しさより、「どう感じ、どう思い、どう読み替えるか」を自分の側で選べる楽しさがあるからでしょう。まばたきは見落とされがちな動作ですが、見落とされるからこそ、本当は“世界の連続性”を支えている存在でもあります。『まばたきの五線譜』は、その見落としを回収し、静かな動作を、音楽のように立ち上げ直す試みとして読めます。読者は最後に、物語の結論を受け取るというより、自分自身の中にある微細な時間の刻み方を、少しだけ違う角度から再確認することになるのではないでしょうか。

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